午前中に・・・/吉田拓郎

拓郎ニューアルバム「午前中に・・・」
1974年12月。俺は中学校の帰り、呉線に乗って2つ隣の竹原の病院に行った。
持病のために入院している親父を見舞うためだったと思う。
ただ、その時に抱えていたレコード・・・それは、生まれて初めて予約して手に入れたレコード。
それが、吉田拓郎の「今はまだ人生を語らず」というアルバムだった。
病院に寄る前に、駅前のショップで受け取ってきた。
見舞いのために竹原に行ったのか、レコードを買うついでに見舞いに行ったのか、
今となっては、どっちだったか良く覚えていないけど、
ただ、病院という少し遠慮気味な場所で、俺は親父に、拓郎のその新しいアルバムのことを、
言葉少なに、でも嬉しげに話したことを映像として覚えてる。
あれから、何年経っただろう?
久々にリアルタイムで手に入れた吉田拓郎のニューアルバム「午前中に・・・」。


ここのところ、もう、ずっと、聴いてた。
なんか、懐かしい感じ。とても裸な歌詞が胸に染む。
でも、新しい試みが随所にあるし、遊びもあって、とてもこのアルバム、楽しませてもらってる。

去年の夏かな?ニッポン放送の特番で、懐かしいパーソナリティによるオールナイトニッポンが放送された。
その時に、拓郎の久々の声を聞いたんだけど、その時の言葉がそのまま唄になったのが、1曲目の「ガンバラナイけどいいでしょう」なんだと思う。
俺たちは、中学、高校、大学、大人になってもずっと、強い拓郎、熱い拓郎、熱唱する拓郎を追いかけてきたし、ずっと、そういうのが拓郎だとイメージしてきた。そういう歌い方やギターの弾き方を真似したものだ。
そして、時間も経って、自分もいい歳になって、いろいろと疲れることを通り過ぎてきたこの頃。
あのオールナイトニッポンでの語りや、このアルバムを聞くとね。
とっても、いいんです。
そして、最近、「元気です!」とか「御伽草子」、「人間なんて」とかあの頃のアルバムを聞きなおしてみたら、驚いたことに、あれほど、力が入っていた歌唱法だと思っていたんだけど、それは俺の勝手な思い込みであって、当時の拓郎の歌に、力みはまったく無く、とても軽やかに歌っている。

 

子供の頃に、意味はぜんぜん解らんけど、雰囲気がなんかかっちょいい!とハーモニカホルダを買ってきてコピーした「祭りのあと」。M2の「歩こうね」を聞くと、その頃の心持が蘇って来て、ふと思考を止めてみる。こういう世界に感動していた自分を必死に想い出そうとするけど、かなり遠い。でも、「歩こうね」には、心が素直に反応する。

 

このアルバムを買った週末に、広島の田舎からいつもの宅配便が来た。ありがたいことだ、お袋からの田舎セット。その中にフキが入っていた。お袋の電話の話で初めて知ったけど「太いのが晩生(オクテ)じゃ、細いが早稲(ワセ)じゃけんの。まあ、晩生のほうが美味しいがの・・・」、ということだ。みかんも作ってたから、小さい頃からみかんには、晩生と早稲があるのは知ってたけど、フキにも、晩生と早稲があるんだね。因みに、みかんは早稲のが皮が薄くて甘くて好き、フキも早稲のが細くて好きだなあ。
しかし、拓郎さん、フキの葉って、どうやって食べるんでしょうか?おれ、食べたこと無いです。

 

最近はタクシーに乗っても、運転手さんと何を話したか、あんまり覚えていないのは、タクシーに乗って帰るくらいの飲み会の場合、相当飲んでるってことでしょう。
「真夜中のタクシー」って曲は、ほとんど、セリフなんです。これが、面白い。ライブでは、楽しいネタになるんだろうなあ。
今回で、拓郎のコンサートツアーは最後なんだそうだ。CDを手に入れたあと、慌ててネットで調べたら、どの会場も既にチケット完売だった。何たる不覚。まあ、しょうがない、俺は、1979年の篠島ライブでの拓郎の雄姿を思い出しながらやるさ。
「やっぱり~、宮里愛がきっかけかな~?お客さん~?」ってとこが、満更でもないって感じで面白い。

 

「今は恋とは言わない」公開詫び状?

 

拓郎の歌には、時折、都会への憧憬を感じさせてくれる歌が数多くある。「制服」に出てくる上野駅、高円寺、「地下鉄に乗って」の赤坂見附、「街へ」「ペニーレインでバーボン」の表参道や原宿。少年の頃は想像するだけの場所だったけど、今は、生活の一部になっているのが嬉しい、いや~、いつまでもおのぼりさんです。
「季節の花」もそんな、時間の流れ、東京の風景、そんなキーワードで展開していく歌かな。

 

「ウィンブルドンの夢」って、タイトルから、誰かのことを歌ってるのかなあ?って思ったんだけど、ちがうみたい。
「早送りのビデオ」・・・確かにそうですねえ。すごい人です。
「Fの気持ち」・・・おもしろ~!コードがそのまま歌詞になってる。しかも、それが、上手くはまってるし、これは受けました。
「あなたを送る日」・・・貫くって傷つくこともある。でも、そこは守りたい。帰っていく日のために。

 

やっぱりね、俺の少年の頃からのアイドルだから、主観的に聴いてしまう。
こういうアルバムは、俺にとって非常に貴重です。

というわけで、「ガンバラナイ」って唄っている拓郎さんは頑張っている。

5 Comments on “午前中に・・・/吉田拓郎”

  1. 過去スレ(?)を伸ばすようで心苦しいのですが…。

     >広島出身のタイコ系の友人

    はい。日浦さんとは高校の同級で
    当時ライバルと目された(?)バンドに属していたのだとか。
    私はもともとはお仕事仲間ですが、20年ほど前
    しばらく一緒にバンドをやっていました。
    が、それも私の一時帰郷であえなく自然消滅。
    再上京後もバンドは復活することなく、徒に歳だけ喰いまくり
    今では、ニューミュージックと呼ばれる以前の
    70年代フォーク&ロックなどをサカナに
    盆と正月ペースで居酒屋談義する程度の仲です。

     ま、そのめったにない機会に日浦さんのことを教えてもらって
     このHPを拝見しているわけですから、実りはすごく多いのですが…。

    で、高校生だった当時。
    私の田舎である九州では博多を中心としたムーブメントがすさまじく
    サンハウス、チューリップ、甲斐バンドが立て続けにヒットを飛ばしていました。
    また、何故かサザンロックの人気が高く
    エルビン・ビショップなんて渋いアーティストも
    高校生バンドが普通にコピーして、文化祭で普通に演っていました。
    そんなこんなが、とても懐かしく思い出され…。
    広島は広島で、多少の違いはあったようですが
    当時コピーしたバンド名などを聞くのも懐かしいものでした…。
    ま、同世代の音楽仲間とは、かくも楽しい存在なのですね。

     閑話休題。

    トップページ(?)のビグスビーテレ、いいですね。
    新六文銭の頃の拓郎テイスト芬々というか。気分は中野サンプラザ(?)
    もう1本のバタースコッチ(ですよね)ローズもいい感じ。
    さらにピックガードで味わいが深まるというか…。
    フェンダーはいいから、グレコあたりの中古のテレが欲しくなっちゃいました!

    ps.拓郎は「僕の車」よりさらに古く、スバルレックスのCMも歌っていたような。

  2. barefoot89jp さん>コメントありがとうございます。広島出身のタイコ系の友人?って誰でしょね?
    思いつくのは、LORAN?違うか?まあ、置いときまして。失礼しました。上野ではなく、東京駅でしたね、集団就職というキーワードから、ずっと上野駅と思い込んでいました。
    「僕の車」って懐かしいなあって、聴いてしまいました。ワンコーラスだけの曲って記憶してましたが、途中でリズムが変わるのは忘れてました。今回の「あなたを送る日」も、後半でテンポが変わる手法になってるし、意外とこの手法を拓郎さん使ってたんだなあ。遡ってみると色々と発見があって楽しいですね。

  3. 遅コメ(?)ですが…。

    広島出身のタイコ系の友人に紹介され(?)お邪魔しました。

    そうですね、フィフティ・ナイナーズの我々にとって
    拓郎(さん 以下敬称略)は、ある意味「タマシイのふるさと」か…。
    文字どおり、自然≒大地に帰る日もさほど遠くないと思われる今日この頃、
    そんなことまで考えてしまいましたとさ。

    ところで「制服」は上野ではなく東京駅では?
    東京駅地下道の人混みのなか~♪ という一節もあったような。

    >拓郎の歌には、時折、都会への憧憬を感じさせてくれる歌が

    御意!「うんうんうん」ですね。
    アタクシの場合、高校生の頃「僕の車」を初めて聴いたとき
    「あぁ、東京の街の歌だ」と思った、というよりは漠然と感じました。
    シビックなんて当時の田舎ではほとんど見ない「都会の」クルマだったし…。

    うわ、「水無し川」by松本隆も同じアルバムか!
    CDで買いなおそうかしら…

  4. 城さん>当時、ほんとに驚きましたよ。
    屋敷のJ-45。道方のJ-50。
    三津田フォークソング部に入部してきた二人の新入生が持っていたギター。
    めちゃくちゃジェラシーでした。
    しかも、彼らは、夏の拓郎のコンサートチケットまで持っていたんです。
    ひとつのカルチャーショックでしたね。マニアってのはこういうことなのかなあって思いました。
    しかし、あの頃の熱ってすごかったんだろうなあって思います。
    たまたまそういう人間が集まったからなのか?
    集まってみたら影響しあって熱くなったのか?
    その後、俺たちが歩んだ道のことを考えれば、好きなことに相当没頭してたということでしょう。
    しかし、恐ろしいくらい楽しかったあの頃です。
    ギターってのは楽しい楽器ですね。
    最近、屋敷は、丸肩のJ-45を入手し、床の間に飾って酒の肴にしているらしいです。
    ますます年季の入ったマニアになってきました。
    これからもポロンポロンやってください。

  5. ワタシにとって「拓郎」と言えば、「屋敷」なのですwww
    高一の時のクラスメイトだった彼は、拓郎ばっかりがなってた印象があります
    かく言うワタシは浪人の頃から「拓郎」にハマりました
    下宿~アパートとギターの弾けない環境がうらめしかった
    40を過ぎてギターを始め、豊田郡の離島でポロンポロンやっておりますw

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